後の祭り 2007 11 25

 今日もまた、日本のバブル崩壊後(失われた10年)について、
話をすることにしましょう。
 金融システムは守らなければならない。
しかし、結果的には、金融システムを守ることはできない。
 今でも、よく言われることは、
バブル崩壊の初期の段階で、つまり1992年に、
当時の宮沢首相が、不良債権問題を一掃するために、
公的資金を10兆円程度投入すべきであると主張したことがあったと思います。
 しかし、この話は、いつの間にか立ち消えになったと思います。
それは、当時、住宅金融専門会社に対する、
7000億円程度の公的資金投入ですら、世論が大騒ぎとなっていたからです。
 当時の雰囲気では、やはり貸手責任論というものが非常に強く、
7000億円程度の公的資金ですら、非難の的になっていたのです。
ましてや、10兆円の公的資金など、口が裂けても言えない雰囲気だったのです。
 今から思えば、1992年に10兆円の公的資金投入を断行していれば、
「失われた10年」にはならなかったでしょう。
そして、日本のバブル崩壊後は、軽傷に終わった可能性があるのです。
 どうして、そういうことができなかったのか。
それは、ひとつには、こういうことが原因だと思います。
 知識人ですら、
「政治や社会のことは、よくわかる。
しかし、経済は、わかりにくい。
さらに金融システムとなると、さっぱり、わからない」ということです。
(これは、日本だけでなく、世界各国に共通した現象です)
 知識人ですら、こういう状態ですから、
ましてや、一般大衆に、金融システムの重要性を理解してもらうのは、
極めて困難なものとなります。
 そういうわけで、「金融システムは守らなければならない。
しかし、結果的には、つまり政治的には、金融システムを守ることはできない」となるのです。
 すべては、後の祭りなのです。
あの時、1992年に、公的資金を10兆円程度投入していれば・・・・・。

















































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